「できない」を、もう少しよく見る。
今回、ちょうどお箸に取り組み始めた年中の子がいます。
そのときの様子を動画で撮影しました。
お箸を使っている様子を観ます。
指を観る。
箸を観る。
指と箸の関係を観る。
どこで箸に触れているのか。
どの指で箸を支えているのか。
開くとき、どの指が動くのか。
閉じるときはどうか。
指が動くと、箸はどう動くのか。
実際には、こんなことを一つひとつ言葉にしながら観ているわけではありません。
ただ、観ます。
「お箸が使えない」
「お箸が使えない」
それだけで、何に困っているのかを短い言葉で伝えることができます。
とても便利な言葉です。
一方で、実際に子どもの手元を観てみると、「使えない」という言葉だけでは分からなかったことがたくさんあります。
指はどこにあるのか。
箸はどこにあるのか。
どこで触れているのか。
どこで支えているのか。
どう動いているのか。
動画の児童は、箸で物をつまみ、持ち上げています。
食べ物をつまむこともできそうだと考えれば、「お箸を使えている」と言えるかもしれません。
一方で、一般的なお箸の使い方と比べれば、「できていない」と評価するところもあります。
どちらかを決めることが、ここでの目的ではありません。
そこにはただ、その子が今、そうしている状態があります。
観えたことと、考えたこと
観ていると、いろいろなものが目に入ります。
箸が触れている位置。
箸を支えている指。
開閉するときの指の動き。
箸先の動き。
手首や腕の動き。
同時に、いろいろなことも考えています。
ただ、
「この位置に箸がある」
ということと、
「この持ち方では箸を動かしにくい」
ということは、同じではありません。
前者は観えたことです。
後者は、観えたものから考えたことです。
実際の場面で、この二つを一つひとつ分けながら観察しているわけではありません。
観ながら考えています。
考えながら、別のものも観ています。
それでも、
観えたことと、考えたことは同じではない。
そこは分けておきたいと思っています。
お箸だけを観ない
手元を観ていると、別の場面も確かめたくなることがあります。
同じ指の使い方は、お箸のときだけなのか。
物をつまむときはどうなのか。
ハサミを使うときはどうなのか。
ボタンを留めるときはどうなのか。
お箸で観えたものが、ほかの動作でも見られることがあります。
すると、観る範囲は少し広がります。
お箸をどう使っているのか。
そこから、
手をどう使っているのか。
生活の中ではどうなのか。
お箸を使えるようにすることが支援なのか。
それとも、お箸を観たことで見えてきたものに支援が必要なのか。
同じようで、少し違います。
一部を見る。全体を見る。
後から整理してみると、子どもを観るとき、一つの動作を細かく観ることと、その動作を生活全体の中で観ることを行き来しています。
一般的な専門用語ではありませんが、私は便宜上、これを「ミクロ」と「マクロ」と呼んでいます。
今回のお箸であれば、
どの指が動いているのか。
どこで箸を支えているのか。
手首はどうなっているのか。
物をつまむとき、指と箸はどう動いているのか。
一部を細かく観る。
これが「ミクロ」です。
一方で、
家庭や園ではどう過ごしているのか。
ほかの手指を使う活動ではどうなのか。
生活の中で何に困っているのか。
これから、どんな力が必要になるのか。
今、お箸に取り組むことにどんな意味があるのか。
全体の中でも観る。
こちらを「マクロ」と呼んでいます。
一部を観る。
全体を観る。
一部で観えたものを全体の中に置くと、また違うものが見えることがあります。
観るということ
もう一度、最初の動画に戻ります。
指を観る。
箸を観る。
指と箸の関係を観る。
最初に観たときと、同じものが見えるでしょうか。
一度目と二度目で、違うものが目に入ることがあります。
同じ子どもを観ても、いつも同じものが観えるとは限りません。
環境が少し違う。
子どもの状態が少し違う。
観ている側も、少し違う。
だから、そのとき観えたものを観ます。
そして、観えたことから考えます。
ただ、考えたことを、観えたことそのものにはしない。
観えたことと、考えたことは同じではない。
次回は、このとき実際に何が観えていたのか、書いてみようと思います。
観えたことを、言葉にしていく。
書きながら、考える。
その子が今、どのようにお箸を使っているのか。
何をもう少し確かめたいのか。
そこから、どんな支援が考えられるのか。
普段していることを、そのままたどってみます。


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