ドアは、ただのドアです。
「どんな設備がありますか。」
事業所の見学で、よくいただく質問です。
その問いには、
「特別な設備はありません。」
と答えます。
玄関があります。
扉があります。
机があります。
椅子があります。
どこの事業所にもある、ごく普通の環境です。

玄関の扉を開ける。
たったそれだけの動作にも、その子らしさが表れます。
ドアノブをどう持つのでしょう。
右手でしょうか。
左手でしょうか。
指先で回すのでしょうか。
手全体で握るのでしょうか。
でも、見えているのは、それだけではありません。
この扉は押すのでしょうか。
引くのでしょうか。
何を手掛かりに判断しているのでしょう。
一度押してみるのでしょうか。
蝶番を見ているのでしょうか。
そして、
扉の向こう側を想像しているのでしょうか。
目には見えていない空間を思い描きながら行動しているのか。
そんなことまで、一枚の扉から見えてきます。

玄関には段差がありません。
それでも自然に靴を脱ぐ子もいます。
そのまま歩いてしまう子もいます。
床には一本の金属の見切りがあります。
その線を境界として捉えているのでしょうか。
靴のマークを目印にしているのでしょうか。
見えているのは、
「靴を脱げた。」
「脱げなかった。」
という結果ではありません。
何を手掛かりに行動しているのか。
その過程です。
保護者より先に部屋へ入る子。
後ろで様子を見る子。
手をつないでもらう子。
一人で入ってくる子。
そこにも、
その子なりの理由があります。
「どうしてだろう。」
その問いから、支援が始まります。
ドアは、ただのドアでした。
玄関は、ただの玄関でした。
机も、椅子も同じでした。
そこに特別な意味があるわけではありません。
子どもを理解するために使われたとき、初めて支援の道具になります。
何も変わっていません。
変わったのは、その環境を見る視点でした。
「どんな設備がありますか。」
その問いには、
やはりこう答えます。
「特別な設備はありません。」
でも、
その環境を通して、
子どもを理解しようとすること。
そこから支援は始まるのだと思っています。
理由がわかれば支援がわかる。
見えているものに支援をするのではなく、
見えている理由に支援する。
そんなことを丁寧に、一つずつ。
教具って、なんだろう。


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